略 歴

西 造型研究所
tsutomu nishida  

1970年〜

温井源喜氏に師事する(日展/日本画家)
1969年〜 公募・富山市美術展に出品(富山市長賞等受賞)
1970年〜 公募・富山県観光美術展に出品(第2賞等受賞)
1970年〜 公募・富山県美術展に出品(県展賞他受賞)
1971年〜
  1976年
民衆美術展に出品
1975年 第1回個展をする/以降富山・東京・京都等で13回する。
1975年 美研社に入社する。(サイン・ディスプレー)
1976年〜 伏木澄夫氏に師事する(自由美術協会会員/洋画家)
1977年〜
  1979年
主体美術展出品
1978年 美研社を円満退社し、西色彩研究所を設立し独立する。
1983年 公募・富山空間造形展に出品する。
1985年〜 公募・あすを拓く美術展に出品する。
1986年〜 プラスアルファの会に参加出品する。
1986・87年 自由美術展に出品する。
1986年〜 自由美術富山グループ展に出品する。
1986年〜 うーたん会に出品する。
1986/87年 公募・セントラル美術展に出品する。
1986〜
  1988年
公募・上野の森大賞展に出品する。
1987・88年 公募・浜松のイメージ展に出品する。
1987年〜 公募・日本海美術展に出品する。

1988年

新鋭選抜とやま20人展に招待出品する
(北日本新聞美術賞受賞)

花と音楽とアートによる「インプロビゼーション」
に参加する。

1989年

金沢舞踏館・山本萌独舞公演「白濁鳥ー羽化祭」の
舞台美術を担当する。
(金沢・富山・新潟・福井・名古屋・大阪・京都)
この舞台美術を担当した前後より、平面壁掛け作品より
立体造形作品へと変わる。

1989年

宮野の野外彫刻展に招待出品する。
写真グループ「宙」に招待出品する。
アートイベント小川寺89に参加する。
富山市成人式の舞台美術を担当する。
チャイルズクラブ・チャリティミュウジカルの
舞台美術を担当する。
千田和子・小唄ライブの舞台美術を担当する。
第1回ジャパンエキスポ富山にて富山県テーマ館
(地底探検コース)及び不二越テーマ館にて擬岩、
キャラクターロボット等を担当制作する。

1990年

西造形研究所に改名する。
以降、現在までに富山県・富山県埋蔵文化センター・
富山市科学文化センター・砺波市郷土資料館
黒部市吉田記念館・富山県平村郷土資料館・等で
建築模型/地形模型/ジオラマ/壁画等を
多数せいさくする。

1992年

小矢部市芸術文化協会20周年記念展に野外彫刻を招待出品する。

1993年

入善町下山芸術の森整備着工記念・アートイベント93
「解体から再生へ」に参加する。

1994年〜

公募・神通峡美術展野外部門に出品する(奨励賞受賞)

1997年〜

坂のまちアートinやつお97に参加する。

1998年

坂のまちアートinやつお98にてアスベスト館/
元藤あき子パフォーマンスライブをプロデュスをし、
舞台美術を担当する。

2000年

現在までに美術グループ展・コンペション等に多数出品する。





1990年第8回個展ー絵画と非絵画ーに寄せて
「素材との戦い」


ひとりの作家にとって、その素材との出合いはさまざまであろうが、 ニシダツトムほど多くの素材を駆使する作家も少ない。それは自分に最も適した素材に出合わなかったために、多くのものを実験的に使ってみたが、求めるべき素材が今なおないためだからということではない。当初、彼はごく一般的に油絵具を使用していた。写実を根底とした心象的表現によってキャンバス向かっていたのだが、その制作はややもするとストイックな技法となり、萎縮した絵画空間との葛藤に終始していた。その後、グラスファイバーと発泡スチロールをガスバーナーで焼き溶かし、ドロドロとした抽象的な画面を作り出すのだが、それは、あたかも ニシダの姿を映し出すかのような混沌とした制作であった。ところが、この制作の過程において揮発する有毒ガスが、彼の肉体と、神経をむしばんでいたのである。肉体のすべてをかけて、彼はその素材に取り組んだ。作品を制作するという内部での戦いと同時に、肉体との戦いをも強いられたのであった。いくつかとの素材との出合いと戦いは、彼に創造することの喜びとともに、すべての苦悩を与え続けてきたのである。だが、彼は素材との戦いを休むことはない、そして、彼は単なる理論的な一側面だけでは制作を持続することの出来ない作家とも言える。制作する行為そのものに彼の身体が深くかかわってこなければならないのである。多様な素材との戦いの烈しさの中で、ニシダはまた新たなる素材と出合った。今回の個展では、黒鉛を主たる素材として作品を発表するが、彼は黒鉛の黒鉛の艶やかな魅力に取り付かれたのである。黒という色にまつわる物語は多い。神秘、深さ、死・・・様々な観念の中で、 ニシダは黒にいったい何を見てしっまたのであろうか。ニシダツトムはその黒を支持体であるベニヤのパネルに手のひらによって塗り込む。粉末になった黒鉛に水を加え、粘土状にしたものをこねるようにして画面に定着させるのであるが、柔らかく湿った素材は、ほとんど官能的といえるほどの触覚を掌に伝える。彼の手はたえまなく創造にたずさわるとともに、画面をかぎりなく愛撫するのである。その過程は、直接的かつ感覚的なものとが緊密に結びついているのだ。素材は彼のなしうるあらゆる行為を受け入れてくれる。素材としての豊かさは、いたずらに存在感を主張せず、静かに、そして激しく彼とかかわり合う。だが、 ニシダは素材が持つ恐ろしさも十分に味わっている。素材がいかに美しいものであっても、それだけでは決して最終目的にはなり得ないことを。黒鉛の黒き光は、まるで ニシダツトムの明日を照射しているように思えてならない。


富山県立美術館主任学芸員 柳原正樹